山上ヶ岳      地図案内   TOPへ戻る
大和の吉祥草寺に生まれた役行者は大峰山や金峯山など多くの山に踏み入って修行し、平安中期以降は山岳宗教の修験道の開祖とされた。吉野山から大峰山(山上ヶ岳)を越えて熊野本宮大社までの道は大峯奥駈道と言われる。
 
  右が山上ヶ岳(1719m)、左は稲村ヶ岳(1726m)    うっすらと雪化粧した山上ヶ岳(11月中旬)。
    
 大峯山寺妙覚門。宗派は修験道。  大峯山寺本堂(重要文化財)は734年創建以来幾度も焼失、再建されてきた 。役行者が感得した蔵王権現を祀る。
   
 大峯山寺  西の覗き(1650m)  200mの絶壁に身を乗り出して荒行が行われる(左端)。
   
  入峰修行と十界 
 十界とは最も低い地獄界から最上の佛の境界に至る十の段階をいいます。入峰修行は十界のそれぞれの段階における修行をおのずから実践し体得するところに大きな意義があります。
一 寒暑や風雨をついて登る(地獄道)
二 空腹や喉のかわきに耐える(餓鬼道)
三 荷物の重さをいとわない(畜生道)
四 人におくれないよう頑張る(修羅道)
五 六根清浄をとなえつつ登る(人間道)
六 美しい山岳風景を楽しむ(天上道)
七 先達に従って法を聞く(声聞道)
八 峰吹く風も佛の説と自ずから知る(縁覚道)
九 入峰中にお互いに助けあう(菩薩道)
十 自然と一致し佛心がわきでる(仏道)
洞川観光協會 洞川嶺霧露會 京都音羽組
 皇太子殿下行啓記念碑   1990年6月、若き皇太子殿下が大峯山を踏破された時の記念碑。大峰山で皇太子殿下にお会いした人の話が残っている(外部サイト)。皇太子は自分で自分の荷物を背負い、自らは話を切らずに対応されたという。皇太子殿下は日本山岳会会員。健脚として知られ年に数回登山されるという。
   
 山上ヶ岳中腹から望む高見山(右)と曽爾高原(左端) 平安時代から女人結界。かつて洞川で林間学習する学校は男子が山上ヶ岳に、女子は隣の稲村ヶ岳に登ったという。